コンクラーベが注目される今こそ読みたい、数奇な小説「教皇ハドリアヌス七世」

ローマ教皇フランシスコの死去に伴い、新しい教皇を選出するための「コンクラーベ」が行われ、めでたく新教皇が選ばれたという知らせが入ってきました。

日本では、この選挙をドラマチックに描いたエドワード・ベルガー監督の映画「教皇選挙」も公開以来ヒットしており、世間の関心も非常に高まっているタイミングですが、この「教皇選挙」はロバート・ハリスによる同名の小説が原作で、こちらも大変おすすめです。

しかし、映画と合わせてぜひ楽しんでほしい本がもう一冊あります。不遇の作家フレデリック・ロルフによる「教皇ハドリアヌス七世」です。

hadrian hadrian 「ヌメロ・ゼロ」

主人公のジョージ・アーサー・ローズは、ロンドンの手狭な下宿で飼い猫のフラヴィオだけを相手に、売れない文筆家として糊口をしのいでいる中年男性。そんな彼のもとに、ある日司教と枢機卿が訪れ、彼が過去に聖職に就く道を閉ざされた判断は誤りであり、望むなら再び神父として迎え入れる用意があることを告げます。

疑い深く愚痴をこぼしながらもそれを受け入れたジョージは、新しく任命された神父として、まさにコンクラーベが進行中のバチカンを訪れます。そして、運命の悪戯か、彼は新しい教皇として選出されてしまうのです。

「ハドリアヌス七世」を名乗った彼は、教会の世俗的権力を放棄させる大胆な改革に乗り出すとともに、緊張が高まっている世界に向けて教化のメッセージを次々と発信していきます。その過激な改革は枢機卿たちの反発を招き、彼の失脚を狙う陰謀が進む一方で、新教皇がまだジョージ・アーサー・ローズと名乗っていた頃の過去の因縁が彼の身に迫ってゆく……。

邦訳が出版された当時、「さえない中年男性が教皇に!?」という、都合良く主人公が最強になったり特別な家柄に生まれたりする、異世界転生ライトノベルのような筋立てが話題になりましたが、それはむしろこの小説の面白さの発火点に過ぎません。

ハドリアヌスは、私たちが追求するのをどこかで諦めた理想の自分を思い出させるからです。

もし、使徒が現代にいたとしたら

まったく予想外の展開で教皇に選ばれた主人公ですが、次の瞬間には一人称を「朕」、つまり英語でいうところの “Royal We” を使いこなし、堂々とした教皇として神の代理人としての仕事に取り掛かります。

長く封印されていた窓を開けさせ、兵隊に囲まれずに人々の前に身をさらし道を歩み、車椅子の枢機卿のためには自らそれを押し、チェーンスモーキングをやめられないという、無茶苦茶ながらも憎めない描かれ方をしています。

周囲の枢機卿が伝統や世俗的なしがらみ、あるいはハドリアヌスに対する憎しみや羨望に囚われているなかで、教皇ハドリアヌス本人は信仰を求める純粋な人物として対比されます。

「三つの冠からなるこのティアラを受けなさい。そして知るのです、汝こそ世界の統治者であり、王公たちの父であり、救い主キリストの、この地上における代理人であると」

ハドリアヌスは、これらの決まり文句を、隠喩としてではなく、文字通り、額面通りに受け取った。

このように、教皇としての立場と権能を真に受けて突き進んでいくハドリアヌスの活躍は痛快であると同時に、どこか悲しいユーモアにあふれています。

きれい事では解決しそうにない、きな臭い戦争や政治闘争にさえも、真っ正面から信仰の言葉で切り込んでいくその姿は、どこか滑稽でありながら、ひょっとしたら現代に使徒がいたなら、こんな風に見えるのかもしれないと想像させてくれるのです。

小説の後半で、陰謀が身に迫る中、教皇ハドリアヌスが一度だけ指輪を外し、ジョージ・アーサー・ローズとして語るシーンの美しさは格別です。

作者のフレデリック・ロルフは、神学校に入るも素行の悪さから放校され、ついに神父になることができなかった経歴の持ち主でもあります。予想外のコンクラーベで教皇に選出されるハドリアヌス七世は、自身の理想の運命を投影した姿と言えるでしょう。

しかし、現実はそううまくはいきません。過去の挫折を帳消しにしてくれる使者は現れませんし、「自分だったら世界をこんな理想の形に変えるのに」という白昼夢は、ありがたいことに現実にはなりません。それでもロルフが、自身の理想の高さを疑似自伝的小説としてまとめ上げたのが、この「教皇ハドリアヌス七世」なのです。

真面目に読むべきか、それとも無茶なほら話だと笑いながら読むべきか、それは読者に委ねられています。

しかし、この物語が残す、心が少しだけ清らかになったような読後感は、多くの人に味わってほしいものです。

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2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。