神戸大学「海事博物館」で日本と海の歴史をたどる

神戸大学というと、山側にある六甲キャンパスを思い浮かべることが多いものの、実は合併した神戸商船大学のある海側にも深江キャンパスという施設があります。
先日、神戸大学で研究ワークショップが開催された際に初めて訪問したのですが、訓練船は停泊しているし、突堤にさまざまな訓練施設が並んでいるなど、船乗りを養成する場所だというのがよくわかります。
その一角、正門のすぐよこにあるのが「神戸大学海事博物館」です。
もともとは神戸商船大学の「海事参考館」という名前の施設だったのが、その後「海事資料館」に、そして神戸大学との合併後に「海事博物館」と名前が変遷して今に至る、小さな資料館といった趣の施設です。
(トップの画像は博物館ではなくて、たまたま停泊していた多機能練習船「海神丸」です)
日本と海の歴史を資料でたどる
言うまでもなく島国の日本にとって、船の運用やその設備は重要極まりないものでした。
最近はそれを意識する機会も少なくなっているかもしれませんが、いまでも膨大な資源や物資は海路で運ばれており、この国で生活する私たちの生命線となっています。
開国直後の明治期などは、きっとそうした意識がもっと強かったことでしょう。この写真に写っている神戸港のかつての姿には、荷物の上げ下ろしのために突堤が空くのを待っている商船の姿が何十も見て取れますが、その一つ一つが外国との人と物が往来する唯一の手段だったのです。
私が訪問した日は、館の係員のかたが親切にさまざまな資料について解説をしてくださいました。たとえばこちらは、漢字からはなかなか読み取れませんが、マカオや当時のサイゴンに向けた客船のポスターです。
こちらは個人的になじみのある花毛布。かつての客船の一等客室では、客をもてなすために毛布がさまざまな形にあつらえられていて、部屋に入ったときのちょっとした驚きを提供していたのだそうです。
JAMSTECの研究船の展示でこうした伝統が残っていることは見たことがあるのですが、いまでも客船でこの習慣が残っているのかどうかは知りません。
こちらは船の揺れや気温の変化によって影響を受けないゼンマイ式の時計「クロノメーター」の数々。正確な時間を知ることは経度の測定の要でしたので、1735年にジョン・ハリソンによって発明されたクロノメーターの登場は、船の航海にとって革命的なできごとでした。
このあたりは、トマス・ピンチョンの名作「メイスン&ディクスン」にも記述が登場しますね。
小さな資料室ではあるものの、所狭しと並んでいる船の模型も、さまざまな時代のものが網羅されていて目に楽しい展示です。
なかでも圧巻なのが第二次世界大戦中に攻撃を受けて沈没した商船についてのデータと模型を展示した「山田早苗コレクション」の存在です。
たとえば有名なものとして単独でタイタニック号以上の犠牲者を生み出した阿波丸がありますが、それぞれについてどのような船だったか、どんな経緯で航行しており、誰が乗っていて、どれだけの人々が犠牲になったのかが、詳細にまとめられています。
実際のところこうした情報には不明な部分が多く、犠牲者の総数も不明であることが多いといいます。このバインダーの太さが、痛切さを増して訴えかけます。
私個人には懐かしい、原子力船「むつ」の模型もありました。私が乗ったのはもちろん「むつ」ではなく、改修されたあとの「みらい」だったのですが、その船も今年には退役となり、新造船がそのあとを引き継ぐことになっています。
こちらは初代クィーン・エリザベス号。
物語によくでてくるスクナー型帆船。
こちらは、日本の船がどのような風景を目印に航海をしていたのかを示す海図。紀州藩のものなので紀伊半島が細かく記載されているものだそうです。
海事博物館への行き方
海事博物館は、阪神電車深江駅から徒歩で10分いった神戸大学深江キャンパス正門入ってすぐの場所にあります。
問題は開館時間で、月・水・金の13:30~16:00という、なかなかピンポイントのタイミングでしか開いていません。しかもキャンパスに駐車場はありませんので、計画的に訪問しないといけませんね。
おそらく、時々は訓練船「海神丸」の一般公開みたいな催しもあったりすると思いますので、そうしたタイミングを狙うのが一番よいかもしれません。