噛める以上のものを口にする

英語には “biting off more than you can chew” という表現があります。直訳すると「咀嚼できる以上のものを噛みちぎる」の意味で、手に負えない仕事を引き受けてしまったときや、能力が許す以上の仕事に手を出してしまった時に使う表現です。

話題になっている細田守監督の映画、「果てしないスカーレット」を見に行った率直な感想がまさにこれでした。

といっても、私にこの映画を作った監督の能力について評価できる批評眼はありませし、映画が楽しくなかったというわけでもありません。美しい映像と主人公たちの旅路の道のりには魅力を感じましたし、一緒に見に行った娘も満足していたようです。

それでも、この映画のあきらかな歪さについては気になります。

基本的には、主人公スカーレットが復讐を果たすために遮二無二突き進むという直線的なプロットに、もう一人の主人公である看護師の聖の純真さが重なって、しだいにスカーレットの心が変わってゆくという、王道のわかりやすい構成なので、それだけで作品がわかりにくくなる要素はありません。

むしろ「単にそれだけの物語ではない」と膨らませようとした部分が、しだいに全体のバランスを侵食したような印象を受けます。復讐するか否かという、モチーフとなった「ハムレット」の構図に、「人生とは」「愛とは」といったスケールの異なる問いかけがインフレーションして追加されるために、急に視界のピントがあわなっているのです。

それなら、そうしたテーマの盛り付けがないほうが良かったのかというと、このあたりが私の批評眼の限界なのですが、よくわかりません。これは人生を復讐に乗っ取られた、空箱のような主人公に新しい命を吹き込む物語なのですから、もちろんあるべきなのですが、やはり「咀嚼できる以上のものが投げ込まれている」気がしてしまいます。

こうなってしまうと、矛盾した2つの副作用が生まれがちです。

雑多に盛り込まれた過剰さによって落とし所が逆に陳腐化してしまい、「結局なにが言いたかったのか」と言われてしまうのが一つ。もう一つは、いろいろと盛ってあるはずなのに「Aがあるのに、なぜBの視点はないのか」といった物足りなさが生まれてしまうという副作用です。良いものを作ろうとして引き算ができなくなったときに陥りがちな心理ですよね、これは。

こういったわけで、明らかな欠点や無理な部分はいくらでも挙げられるのですが、私はこの作品がそこまで嫌いにはなれません。

映画にもっと大きなものを期待する人が失望するのはわかります。

そのうえで、私はまさに “biting off more than I can chew” の状態で、人生を咀嚼しきれないままに生きている自分自身のことを考えていました。

如何にして生きるべきか。確信をもってそれがわかるなら、どれほど楽でしょうか。

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2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。