「正解」の書き方について・このブログの日記部分のフォーマット
VRChatのとあるワールドの運営方法に問題があるのではないかと指摘する記事がnoteで話題となっていました。
初心者向けの集会場となっているそのワールドでは何人かのボランティアのユーザーが運営側のお手伝いをしている一方、ワールドには有料の広告を掲出することができます。話題の記事は、そうしたお金の流れが不透明で、収益があるのならば貢献しているボランティアに還元すべきではないかという持論を展開していました。
結果として、このワールドの主宰が X 上で謝罪するところまでいってしまい、見ていてあまり後味の良いものではありませんでした。発端の記事を書いたのが関係者ではなく、あくまで外部の人が、事情を聞くことなくすっぱ抜くように公開していたのだからなおさらです。
こうした揉め事があると、私は「正解の書き方」はどうすればよかったのだろうかなどと考えます。
記事が話題になればそれでよかったのならば、今のままでも正解と言えるのかもしれません。しかし、他のワールドの管理人が同様の批判を恐れて「透明性」を高めるための発言をしているのを見たりすると、本来の趣旨が転倒してないかとも思います。コミュニティがより閉塞して、誰かの批判を恐れる場所になる手助けをしているのではないかと。
義憤を感じ、コミュニティをより良い場にしたいと感じて筆をとるのもいいのですが、やはり、読んだ人々に怒りを感じて行動してほしいのか、考えを深めてほしいのか、異なる視点に目を開いてほしいのかといった、文章の調性ともいうべきものは注意して選ばないと反作用は相手だけでなく、自分にも及ぶのが発信することの怖いところです。
このブログの日記部分のフォーマット
このブログには「日記」部分と、もう少し長い「記事」部分が別のセクションに分割されていて、それぞれに別の RSS が発行されるようになっています。このうち、日記の部分のフォーマットを少しずつ整えて、本来の意味の「ウェブログ」っぽくしようとしているところです。
ブログは、けっこう早い段階で雑誌などの影響を受けてメディア的な振る舞いをするものと、ウェブ日記的な性格をもったものが分化していったのですが、この日記的なものが SNS の侵食をうけたのがいまのブログの衰退の一つの原因といえます。字数制限と、大勢の人がひしめくタイムラインによって、本来語られるべきだったものが語られなくなったわけです。
この日記的な部分では、この古い形式を少し復活させてみて、なにが起きるのかを見てみたいと思います。