[情報カードの冒険] 知識とは、情報に自分をくぐらせて得られる経験の星座

月並みな話ですが、情報がすべてインターネット上で検索一つで手に入るときに、勉強をする意味などあるのかという話題がたまにでてきます。
答えももちろん月並みで、勉強をしなければそもそもそこに情報があることがわからない、検索することさえもできない、そして引き寄せて活用することさえできないという構造があります。ようするに、情報は、自分の脳をくぐらせてはじめて経験となるという話です。
これ、とてもあたりまえの話なのですが、実は最近は情報を集めるのにかかる手間が圧倒的に少ないために、この事実をバイパスして手元に経験化していない情報がむやみに集まるという傾向がいくつものツールでみられます。
たとえば、面白いと思ったのでウェブブラウザからEvernoteクリッパー経由でEvernoteにダイレクトに情報を集めたけれども、あまりその内容について吟味したり、考える時間がなかったためにしばらくすると Webclip のノートブックにノイズが蓄積してしまう。
あるいは、あとで読むつもりで Pocket に登録したウェブサイトのうち、どれが重要なものだったのか、そしてどれが念の為にブックマークしただけのものだったのか忘れてしまい、さらに毎日100近くの Pocket を登録するのでいつのまにか保存した事実さえも忘れてしまう。
経験の星座は摩耗する
本当は、このカードの上に作ったような経験の星座を丹念に作りたいのですが、時間とともに情報は古くなり、相対的な重要性も変わり、あるいは以前は記憶していた要素を単純に忘れてしまい、ようは知識が古臭くなっていく。
これに対抗するには、常に新しい要素を加えつつ重要でないものは忘却にまかせないといけないわけですが、Evernote / Pocket といったツールはなかなか都合のよい忘却には向いていません。
先週の話題、情報を発想につなぐ認識のバッファという問題と同じくらいに、いまの現在私たちがさらされている情報量に対応した経験をサポートするなにかが必要なのです。
わたしはよく、論文を書くための参考文献の読み込みにおいて、いまだに情報カードを使います。要点を書き込み、並べ、並び替えて、必要なものだけに取捨選択してから、Evernoteにスキャンして全体を一つのノートからリンクさせる。
手間なのですが、情報の収集にほんの少し障害を与え、手間をかける。すると手間の分だけ記憶の中で情報は経験となる割合が多くなります。
願わくば忘却よりまさるペースで、この星座を構築し続けることができるなら。
そうすれば、いずれ人生において学を成し遂げたと確信できる日も、あるいはやってくるのかもしれません。