歴史を悼むために。P.K.ヒッティ「シリア」(中公文庫) [#004]
世界の中心とはどこでしょうか? もちろんこの地球上に、中心とよべる中心はないのですが、それでも意識のなかで、心のなかでそれを探すとしたなら。
私たちは自分たちの知っている知識と情報をもとに、中心と、周縁とを形成します。だから自分の近所や日本が中心であるのは自然なこととして、もう少し拡張した意識の中では、そこから考えることを逃れられない西洋の文明を背景に、欧米を一つの中心としてイメージするかもしれません。
しかしヒッティ教授にとっては違いました。それは明らかにシリアだったのです。
「シリア」東西文明の十字路 (中公文庫)
知識欲に突き動かされていたもう四半世紀もまえ、私はこの本を大学の近くの書店で買ったのでした。特になにかに惹きつけられたわけではなく、「知らないことが書いてある」というだけの理由だったでしょう。
本書の文体は理知的で、詳細で、どこか熱を帯びていました。実際、当時は「どうしてこんな遠くの、辺境にある国についてここまで詳細に書くのだろう」と不思議に思うほどでした。
それはとんでもない感想でした。アメリカにおけるアラブ研究をほとんど独りで築き上げた碩学ヒッティ教授にとって、シリアはすべてだったのです。
本書には、1958年の出版当時における最新の、シリアについての気候や地理学と歴史が編年式にまとめられています。先史時代からフェニキア人の時代、ギリシャ・ローマの支配、ウマイヤ朝からアッバース朝からオスマントルコから近代のフランス統治と独立に至るまで、本当にひとつの地域に起こったとは信じられないほどの歴史絵巻が展開します。
時折、冷静な歴史家であることを離れて、アラブ贔屓の熱っぽい解説が続く場面もあるのですが、遠い国に住む私たちからみたその見かけ上の奇妙もまた、私たちの「中心」の感覚を揺さぶるのです。
けっして読みやすい本ではないのですが、その難しさが、歴史書を読む意味を教えてくれます。つまりそれは歴史の事実をただ知るための本ではなくて、違う場所の、違う考えをもった人々に触れて理解の糸口をつかむためなのです。
しかし学生の頃の私はそんなことをしりようもなく、ただ表紙の写真にうつっているパルミラの記念門の美しさに見とれているのでした。いつか、ここに行ってみたいものだとのどかに考えていたのでした。
きっと、それはもうかなわないことになってしまいました。ヒッティ教授が存命なら、いまのシリアをみてなんとおっしゃられたことか。
壊され、踏みにじられ、なかったことにされようとしている歴史を悼み、少しでも反抗するためにも、こうした本は読まれる必要があります。シリアこそは、現代の歴史の真実が立ち上がろうとしている、世界の中心の一つだからです。
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