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鳥取ブロガーツアー、最終日の朝は冷たい雨でした。晴れていれば正面に大山がみえるはずの道を進んで向かったのは植田正治写真美術館です。

写真に詳しい方なら常識なのかもしれませんが、植田正治は鳥取境港を拠点に活動した写真家で、独特の構図と作風をもった前衛写真は「植田調」という名付けられています。

今年は植田正治生誕100年ということで、この写真美術館もさまざまな催しを予定しているのだそうです。今回は特別に館内での撮影許可をいただいての取材となりました。

プロセスを封じ込めた写真の数々

良い写真と、悪い写真、あまり審美眼を持ち合わせていない僕にはなかなか違いがわかりませんが、印象的な写真はそんな理屈をこえてはっとさせられます。

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今回見ることができた植田正治さんの写真は、そうしたはっとした映像を作為的につくっているものばかりで、なるほど前衛写真というのはこういうことなのかと勉強になりました。つまりこれは、普段みることのない現実の断面を作為的に作っているわけですね。

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何もない砂丘をキャンバスにみたてて、人物を等間隔に、あるいは傘や花をもたせて撮影するその手法は、なんだかジオラマ作りにも通じるものがあります。

でもその対象は生きた人間ですから、小さい子供を含む家族が参加した際などは、なかなか思った構図にならない、子供はつかれてしまうといった出来事の連続だったようで、その回想録も展示されていたコーナーが私は最も気に入りました。

前衛写真というと芸術的なものをストイックに撮っているのかと思いきや家族を題材にした写真などは家族の和気あいあいとした風景も描かれていてとてもほんわかとするんですね。

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館内での映像紹介で、植田正治は「とにかく写真を自由に撮りたい、思うがまま撮りたい」というコメントを残されていたというのですが、考えてみるとこれもまた不思議な言葉です。

自由に撮りたいというと、それは人々が自由に動いている様を撮影すると思う人もいるかもしれませんが、ここでは逆なのですね。

「自由に撮る」の行き着く先としての前衛的な手法というのは、現実から撮りたい画を自由に引き出すということだったのでしょうか、それとも、現実はただそこに人を立たせる以上に可能性に満ち溢れたものだとお考えになっていたのでしょうか。これは興味深い。

館内には水面に大山を表面に逆さに写すことができるプールもあったのですが、残念ながらこの日は雨粒の描き出す輪だけが広がっていました。

静かな館内と一通り見てから、私は最後にもう一度、植田正治が家族とともにとった写真に戻りました。

指示された通りの姿勢をなかなか取れなくて疲れた表情の子供の姿や、やれやれと付き合っている奥さんの姿。もう二度と再現されることのない在りし日の風景。

ああ、つまりこの写真は、その準備や構図を考えたときのプロセスも含めて封じられた一枚なのだなという思いが湧き上がったのはそのときでした。

写真は一瞬を切り取る芸術でありながら、瞬間のなかに前後の時間を海立たせる場合もあります。この作品はまた別の種類、プロセスそのものを一瞬の断面に封じ込めているのだなと。

惜しむらくは、展示されている写真の枚数がいささか少ないため、予備知識をあまりもたずに訪問した私には、なかなか植田正治さんの全体像を理解するには物足りなかった点です。

生誕100年の催しは今年いっぱい続くようですので、機会のあるかたはぜひお立ち寄りください。

p.s.

美術館をあとにして、どうせならということで外でいま見てきた「Ueda調」に挑戦です。ライターの三浦一紀さんがモデルになってくださいました。

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「もっと傘を立てて!」「無表情で!」と無責任なブロガーの要求に答えてのこの一枚、悪くないのではないでしょうか(笑)。

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