さよなら、イザベル。死者たちの織りなす探偵物語の先にみえる人生の救済「イザベルに ある曼荼羅」#005

幻想と旅の小説家、アントニオ・タブッキの名作「レクイエム」に続く中編であり、著者の没後初めて刊行された小説がこの「イザベルに ある曼荼羅」です。

「レクイエム」が、猛烈に暑いリスボンの昼下がりに語り手である「私」が死者たちと対話し、一人の女性を追い求める幻想小説とするなら、「イザベルに」はその中心人物らが再登場して織りなす探偵小説です。

物語を牽引するのは、「レクイエム」では死者のひとりとしてリスボンの墓地に埋葬されていたタデウシュ。今作でも、彼は死者のままですが、「レクイエム」で「私」が追い求めていた女性イザベルの人生の謎を解き明かすためにリスボンからマカオ、スイスアルプスからリヴィエラへと、証言から証言へ、織りなす円環の中心に向かって、真実を追い求めます。

死者たちの織りなすもう一つの現実

背景に影を落としているのはポルトガルのサラザール政権の独裁と、それに反抗する党員たちの闘争ですが、それもすべては過ぎ去っています。それでも死者たちは、あたかもいまも生きて用事をもって暮らしているかのように高級レストランに出入りし、アブサンをあおって、ソニー・ロリンズに耳を傾けて、今となっては結果は変わらない過去の出来事にたいして重く口をつぐみます。

イザベルは党員として活動して逮捕され、ガラスの破片を飲んで自殺したという証言者の言葉に、そうではない、私は真実を知らなくてはいけないと詰め寄るタデウシュ。それならばあのひとに聞けばいいと、証言者たちは重い口をひらいて一人また一人と次の証言者の名前を挙げ、タデウシュの旅は続きます。その先に彼が見出すのは…。

ありえない死者たちの奔走を現実のものとして描き出す浮遊感のある文体はここでも健在で、未練を残してこの世を去った人々が砕け散った世界をあきらめ混じりに再構成してゆく姿はなにもかもが手遅れでも愛おしくなります。

私が「レクイエム」を、そして「イザベルに」の二作品をこよなく愛するのは、この世はどこかで帳尻があっているに違いない、意味のないことなんてきっと存在しないはずだという儚い希望をひとときの夢としてかなえてくれるからです。

果たしてタデウシュは、曼荼羅の中心に、イザベルに到達できるのでしょうか? 彼女に追いつけたなら、それはどこで、どのような形で、彼女はなんと口にするのでしょう?

タブッキの生み出す幻想のリアリズムに導かれてページをめくるのがこよなく楽しい一冊です。

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2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。