言葉の変容と静寂について。ヴァージニア・ウルフの唯一の肉声の録音から
ヴァージニア・ウルフの小説はどこからヴィクトリア朝時代の残照を残しつつも、20世界の精神性を多くの意味で先取りした瞑想的で叙情的な深さをもっています。
「灯台へ」や「ダロウェイ夫人」もいいですが、日本ではあまり読まれない「夜と昼」もまた味わい深く、私の本棚の特別な一角を占めています。
そのヴァージニア・ウルフの唯一の肉声レコーディングが存在するということをブログ brain pickings で知り、ちょっとわくわくしながら聞きました。
現実の彼女は、どんな声をしていたのでしょう。
言葉は記憶と絆の残響
このレコーディングは Craftsmanship と題されていて、後年 “The Death of the Moth and Other Essays” として彼女の死後に出版された文章の朗読のようです。
ヴァージニア・ウルフの声はどこか神経質で、神託のような時代がかった重々しさをもっていて、やはり彼女が生まれ背負っている時代を感じさせます。
その一方で、語られている言葉はその後の思想と深く共鳴しています。たとえばこのくだり。
In the old days, of course, when English was a new language, writers could invent new words and use them. Nowadays it is easy enough to invent new words — they spring to the lips whenever we see a new sight or feel a new sensation — but we cannot use them because the language is old. You cannot use a brand new word in an old language because of the very obvious yet mysterious fact that a word is not a single and separate entity, but part of other words. It is not a word indeed until it is part of a sentence. Words belong to each other, although, of course, only a great writer knows that the word “incarnadine” belongs to “multitudinous seas.”
古い時代には、もちろん英語も新しい言葉であって、書き手は新しい言葉を創作して使うことは自由だった。今日日であっても、新しい景色や感情に出会った時、口をついて新しい言葉はあふれだすが私たちはそれを使うことはできない。なぜなら言語はすでに古くなってしまったから。古い言語で新しい言葉は使ってはならない。というのも言葉はそれ単独で存在するのではなく、他の言葉とともにあるという神秘的な事実があるからだ。言葉は文章とともになくてはいけない。そして言葉は互いに依存している。真に偉大な書き手は incarnadine (肉の紅色)が multitudinous seas (織りなす海)に属すると知悉しているのだ(マクベス2幕2場からの引用)。
このあたりなどは、まさにウンベルト・エーコがポストモダニズムについて書いていたことと並行します。
「愛している」という台詞ももはや世界で最初に使われたように使うことは不可能で、すでにそれが何度となく、繰り返された言葉であり、自分の愛もまた繰り返しであることを意識して使わなくてはいけないという、あの話です。
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幽霊のようでいて、時代を代表する重々しさをもった声のくせに、語っている言葉は私達の活きている今の時代にそのまま直結します。ああ、だからこそ、あり得ないノスタルジーとともにヴァージニア・ウルフの小説は今も読んでいて快感なのだなあ。
録音の最後は、いずれ声は沈黙しなければいけないことを知っているようにこのようなフレーズで終了します。
Finally, and most emphatically, words, like ourselves, in order to live at their ease, need privacy. Undoubtedly they like us to think, and they like us to feel, before we use them; but they also like us to pause; to become unconscious. Our unconsciousness is their privacy; our darkness is their light. . . . That pause was made, that veil of darkness was dropped, to tempt words to come together in one of those swift marriages which are perfect images and create everlasting beauty. But no — nothing of that sort is going to happen to-night. The little wretches are out of temper; disobliging; disobedient; dumb. What is it that they are muttering? “Time’s up! Silence!”
最後に、そして最も大切なこととして、言葉は私達と同様、生きるためには沈黙を必要とするという点だ。疑いようもなく、彼ら、文字は私達に熟考を要求する。そしてそれを使う前に感じるままに感じることを要求する。しかし彼らは私達に中断を、無意識をも要求する。私達の無意識はかれらの自由で、私達の闇は彼らの光なのだ。その途切れ目は、闇の帳は、言葉と言葉が婚姻して完璧にして永遠のイメージを結ぶことを駆り立てる。しかし否、今夜はそのようなことは起こらない。この悪党たちは癇癪を起こしている。希望に背き、歯向かい、痴愚を演じている。彼らはなんと囁いているのだろう。「時間がきたぞ!沈黙せよ!」
全文書き起こしは元サイトで読むことができますので、ファンのかたは是非どうぞ。
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